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『教育激変』(中公新書ラクレ)を読んで

英語の試験に「話す」は必要なのか
 
池上 新テストでは、記述式問題の採用に加えて、民間の力も借りつつ英語力を四技能フルで測るという「改革」が行われます。この点については、どうでしょう?
 
佐藤 私の意見から言わせてもらうと、池上さんとの対談でも申し上げたように、この試験に少なくとも「話す」はいらないと思うんですよ。かつて私が受けた外交官試験の外国語は、英語だったら英文和訳と和文英訳のみ。これは明治時代から変わらないのだけれど、語学力に関してはそれで完璧に測ることができるのです。{※昔ハワイ系帰国子女だった早見優が一浪して上智大学に入ったことが、河北麻友子系か宇多田ヒカル系かを証明してもいます}
 
山本 今の池上さんの質問には、ちょっと答えづらいですね。民間の活用という点から言えば、本来は大学入試センターがすべての問題を作り、時間をかけて評価していくということが許されればいいのですが、そういうわけにはいきません。そこはノウハウを持ったところにお任せして、後は公正にやっていただけるように見守っていくということですね。
 私の立場でこんなことを言っていいのかどうか分かりませんが、大学教育の基礎力としては四技能を均等に求めるのかどうか、もっと議論が必要だと個人的には思っています。{※読み・書き・話し・聞くが均等にそれぞれ100点で換算する資格系試験(英検)なら、大学生の英文のリテラシー能力が格段に落ちてしまう}
 
 佐藤 理屈で考えてほしいのですが、後天的に身についた言語力で、読む力を、聞く力、話す力、書く力が上回ることは、絶対にないんですよ。読む力が「天井」で、同じ文章をしゃべれるけれど読めないということは、ありえないのです。{※この点が、英語教育改革リベラル派の連中は認識力が不足しているのです}
 
山本 少なくとも「共通テスト」では、大学で教育を受けるために必要な英語力を測定するわけですよね。もちろん分野によって異なりますが、最低限必要な力が何かと考えてみても、英語で書かれたいろいろな文献を読める力ではないでしょうか。少なくてともそこをきちんと見ておきましょう、というスタンスがあってもいいのではないかと、私も思います。{※この4技能系民間資格系試験でゆけば、英語を話す能力がいまいちだけれど、理系能力が卓越している地方の国立志望の、特に男子生徒をはじきかねない入試システムになりかねない}
 
佐藤 四技能を見れば総合力が測れると考えているのかもしれませんが、これも対談でも言ったように、実際の試験では「話せる」帰国子女が圧倒的に有利になるでしょう。具体的に言えば、英語の四技能に秀でていて、新テストで満点に近い得点をした帰国子女は、他の科目は軒並み合格ラインに達していないにもかかわらず、志望校に合格する可能性があるということです。{※英語はできるけれど、数学ができないことは勿論、日本史や世界史音痴の、SFCなどに一部いる英語ペラペラ族を輩出しかねない}
 大学でも、留学生はその母語では外国語の単位を取れないようにしているところもあります。楽勝で単位が取れてしまうのは、フェアネスの観点から問題だということですね。ましてや、公平性が大前提の「共通テスト」で、そういうことが許されていいのでしょうか。せっかく全体としてよくできた試験問題になりそうなのに、「英語四技能」を極度に重視するあまりに、肝心の学生の選抜に歪みが生じないか、私は心配しています。{※早稲田の国際教養学部が、まさしくこれに該当します。近々このコラムで早稲田の国際教養学部の弱点に触れます}
 
山本 いろいろな方が、「10年ちかく英語を習ったのに、自分はろくに話せない。教育が間違っている」とおっしゃるのです。そうした意見が、四技能への拡充の背景にあったのでしょう。{※「この言い古されて手垢まみれのこの‘幻想的’文言」にまだ拘泥して、英語教育改革を推し進めようとする連中が主流をしめています}
 
佐藤 それは教育ではなく、本人の問題です
 
池上 国際会議に出かけて、夜のパーティーで外国人と話をしようと思っても言葉が出てこない。いつも言うのですが、だったら語学力以前に自らの教養を問うべきですよね。話すべき中身がなければ、しゃべりたくても、しゃべれませんから(笑)。中身があって、どうして英語でしゃべりたいというモチベーションがあれば、言われなくても英会話をマスターしょうようと勉強するでしょう。{※この点こそ、英語を話す‘動機のロイター板’と私が命名している目的・目標といったものです}
 
佐藤 逆に言えば、ただしゃべれたらいいのか、ということです。英・米以外のいろいろなところでは英語が普及し、日常的に使われているのはどういうことかといったら、そういう国では、生活のためにそれを習得せざるをえないという事情があるからです。日本は、日本語空間の中で生活が成り立つわけで、そういう意味で「大国」なんですよ。{※東工大名誉教授でもあるロジャー・パルバース氏も自身の書で書いていますが、日本語の素晴らしさが‘英語を無意識に、別にむきに勉強しなくたっていいさ的根性’を根付かせてもいるのです}
 
山本 先人のおかげで、高等教育も日本語で受けられるんです。{※ノーベル化学賞受賞者白川英樹氏の弁ではありませんが、「アジアの国々のなかで、これほどノーベル賞受賞者が多いのは、母語(日本語)で全ての教科を学べることにある」といった真実を言い当ててもいます}
 
池上 そうです。みなさんそれを当たり前だと思っているのだけれど。{※「親の有難さ子知らず」ではありませんが、「日本語の素晴らしさ日本人知らず」です}
 
佐藤 例えば、イギリスのブリティッシュ・カウンシルなどが運営する英検のIELTS(アイエルツ)がありますよね。2010年か日本英語検定協会が、日本での共同運営を始めました。このIELTSには、アカデミック・モジュールとジェネラル・トレーニング・モジュールがあるのですが、後者はありていに言えば、移民労働者になるための英語です。最初からそういう試験をやっているわけですよ。言葉とは、そういうものです。{※英語教師でさえも、自宅でスカイプなどを使い、格安のフィリピン人の教師と<英会話>のレッスンをしているそうですが、それは、<海外で生活するためのもの>であり、教師自身が、海外で生活してもいない環境で、生徒に<話す英語>を教えるくらいの動機で、<英語>など学んでも、一種、“英会話レッスンの伝言ゲーム”的なものになりかねません。であるから、『英語教師は<英語>ができなくてもよい!』と主張してもいるのです}
 
山本 そもそも、英語で挨拶ができて、オリンピックに来た人に道案内ができるぐらいしゃべれるようになったところで、学問もできなければ、商取引もできないでしょう。{※これぞ、私が拙書の中で‘ユニクロ英語’と命名した所以でもあります}
 
以上の{※……}の箇所は、私自身の挿入コメントです。
 
 この鼎談の御三方は、池上彰氏の経歴に関しては、言わずもがなです。佐藤優氏は、メディアには、ほとんど登場しません。一方、現在最も新書などの出版物を出されている池上彰氏に勝るとも劣らぬ現代日本の知性{※最近では、知の巨人とさえ呼ばれてもいます}であります。彼は、現在最も精力的に活躍されている分野、それは教育のジャンルです。彼が舌鋒鋭い、また、教育の本質を衝く点は、彼自身が大学では勿論のこと、高等学校でも講演や授業を実際に行っているところにあるといえます。池上彰氏は、日経新聞の月曜版で、東京工業大学からの通信的コラムを執筆してはいますが、実際に高校生には、講演はあるものの、一種スター的ジャーナリストになり過ぎてしまったため、中等教育の影の部分、真の姿が、彼に目には見えにくくなってしまっている嫌いがなくもありません。それに対して、佐藤優氏は、高校生や大学生でも、書籍を進んで読む人以外は、池上氏と雲泥の差の知名度であります。今や、大学と高校の現場を熟知している知識人は、尾木ママこと尾木直樹氏{※教育問題のよろず屋になり果てています}も、カリスマ予備校講師林修氏{※うんちく王・雑学王に路線を変換しています}でもありません。更に、池上彰氏でもありません。日本初の民間出身の元和田中学校校長藤原和博氏、もしくは、この佐藤優氏なのです。今現在の佐藤優氏の教育関係のフィールドの広さは、最も注目すべきものがあります。彼に関しては、一度、このコラムでまとめて紹介したいほどのものがあるのです。この『教育激変』(中公新書ラクレ)は、NHKの記者から今や一番売れっ子で、多岐にわたり国民に政界情勢などをわかり易く説明するジャーナリストにまで登りつめた池上彰氏、そして、元外務省主任分析官から、世界のインテリジェンスを熟知し、マルクスなどの思想から世界の様々な宗教にいたるまで途方もない教養をバックグラウンドに執筆活動をされている知性(教養人)佐藤優氏が、今般の英語教育大改革に異議を唱えているのです。
 この知識人2人に、大学入試センター山本廣基理事長が加わっての鼎談です。この山本氏でさえ、今般の英語試験への疑問点・問題点など、はっきりとモノ申せない立ち位置からも、奥歯にものが挟まったかのように、暗に批判しているニュアンスが伝わってきます。
 この三者による会話の主旨は、このコラムで一貫して主張してきたものとまさしく同じであります。また、拙書『英語教師は<英語>ができなくてもよい!』(静人舎)の通層低音と同じ響きが伝わってもきます。2019年4月10日発行のこの新書は、英語教育大改革のみならず、2020年の「教育改革」に関して舌鋒鋭く論じている良書です。是非一読することをお薦めします。

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