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現実が見えない理想主義教育

  • ①日本の大学は、入学を易しくして、アメリカのように卒業を難しくすべきだ
  • ➁アメリカのAO入試に倣い、その生徒の、勉学だけでなく、課外授業や部活動、ボランティア活動、留学経験など、あらゆる側面を判断基準にして合否を判断すべきだ⇒これは金あるものが、習い事や留学など様々な経験をしてそれがポイントとなる教育格差をさらに助長する要因となる
  • ③高校の英語の授業は、英語で行うべきだ⇒塾で文法をやった生徒とやらない生徒の格差を生む
  • ④大学入試の英語は、話し・書く能力も加味し、4技能で行うべきだ
  • ⑤マークシート形式だけでなく、記述形式の問題をも新テストで導入すべきだ
 
 こうした理想論は、元文科大臣下村博文などが自著の中で述べられているものを具体化した内容です。これまで、嫌というほど言い古されてきた意見でもあります。理想は理想で誰もが反論できない錦の御旗です。政治家は、きれいな理想を掲げはしますが、現場は、どろどろの現実が横たわっています。政治家は、ただ言い出しっぺで、その取り巻きの有識者委員会が、それを理論武装して、肉付けするだけです。それは、自由と平等という2つの理念が矛盾し、両立できない困難な現実と同様です。自由主義と資本主義の下で、不平等や格差・差別をなくそうと絶叫している政治家や社会運動家の見解と似たものがあります。その矛盾を解消しようとする努力は、必要ですし、評価もしますが、政権内部にいる政治家が断行する姿には、その多くが自己利益という都合のいい腹黒さが透けて見えてきます。それはトランプ大統領の存在が証明してくれてもいます。実はトランプ氏と安倍氏が仲がいい、相性がいい、その理由は、似た者政治家の共通点が両者を惹きつけあっているのかもしれません。
 
 以上の①から⑤に関して総括して述べさせていただきます。
 
  アジア教育文化圏には、科挙の教育風土が連綿と生きています。国際学力テストの上位国は、シンガポールや韓国、香港が占めています。中等教育の段階での、ある意味、詰め込み教育(科挙の特性)の面目躍如でもあります。「だから、アジア人は自然科学系ノーベル賞が取れないんだ!」と(わめ)きちらす教育評論家がいます。
 2000年代になってから日本はアメリカに次ぐ数の受賞者を出しているアジアの国です。それは、母国語で高等教育が学べるからです。中国や韓国の大学生は、自然科学系学問は英語で殆ど習得し、思考しています。それに、ノーベル賞級の知性の持ち主は、教育によって生まれるものではありません。野村克也元監督(ヤクルト・阪神・楽天)は、日ごろ語っていましたが、「そのチームの4番とエースは育てることができない」この意見と同じであります。詳しくは述べませんが、日本は、競走馬に譬えると、中等教育の場が栗東トレーニングセンターであり、高等教育の場が北海道の社台ファームなどの放牧場でもある、一方、アメリカは、その逆であります。この点①こそ、その現実を逆転することは不可能とさえ思えます。日本では、徐々に大学も、トレーニングセンター的場所になりつつありますが、限界があります。そのトレーニングセンターは、アカデミズム的というより、むしろ、専門学校的になりつつあるということです。これは、英語の表音文字と、漢字文化圏の表意文字の違いといった要因から、男女の性差の如き、深く、大きいひらきがあるものです。漢字の伝統をもっとも継承している日本語、簡略字体に中華人民共和国が豹変させてしまった現在の中国、さらに、表音文字ともいっていいハングルなど、アジアの漢字文化圏の精随を保持し続け、ひらがな・カタカナといった和語と絶妙に、洋食の如きに融合しているのが日本語なのです。その点こそが、日本だけが、アジアで群を抜くノーベル賞受賞者を輩出している要因なのです。これは、ノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏も指摘している点であります。今般の、文科省の英語教育政策を鑑みると、「使える英語!話せる・書ける使える英語!」とファッショ的に推進すればするほど、日本人の思考の土台になっている日本語パラダイムが、韓国や中国の科学者に近づいていっていることを自民党の、特に安倍政権の回りの人々が気づいていないのでしょうか?本当の保守とは、憲法や社会制度、道徳教育、英数国理社の教育システムを余計に変えてゆくことではない。安倍内閣は、余計に日本語を変えてゆき、日本語パラダイムをぶち壊して行こうとする、日本文化の改革者(改変者)であり、破壊者でもあり、真の保守とは到底言えません。その手っ取り早い手段として<使える英語主義><4技能>を試す試験を推進すればするほど、実は、地球温暖化ではありませんが、北極や南極の氷を融かしている事実を認めようとはしない、いや、楽観視している政治家のように、CO2の排出が、極度の<使える英語主義>であり、極地の氷は、文化庁がチェックしてもいる日本語でもあるのです。
 ⑤の観点から、マークシートは悪、論述は善とした元文科大臣下村博文の御旗の下、新テストで論述形式の出題を決定したり、高校国語教科書から、実質、文学排除ともいっていい、ある意味で、国語教養度格差を“中等教育”の段階で招来しかねない愚挙までしょうとしています。それが「論理国語」という得体のしれない突然変異の不気味な科目の出現です。
 安倍晋三が、真の保守か否かのリトマス試験紙は、文化政策・教育政策・言語観に如実に表れていると思います。
 
 数学者藤原正彦氏の寄稿論文『小学生に英語教えて国滅ぶ』(文芸春秋2018年3月号)にしろ、英文学者渡部昇一氏の『英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし』(徳間書店)にしろ、『英語より日本語を学べ~焦眉の急は国語教育の再生だ~ 竹村健一と斉藤孝の対談集』(太陽企画出版
 
 藤原正彦氏にしろ、渡部昇一氏にしろ、竹村健一氏にしろ、恐らく、安倍晋三は、頭が上がらない、いやむしろ、リスペクトすらしている保守派の論客であります。こうした人々と真逆の考えの教育政策をしているのは、穿った見方をするならば、しなくてもいい教育改革を断行したいという実績残し、即ち、自身が首相の時代、お友達文科大臣下村博文との両コンビのレガシーを残しておきたい。センター試験を、即ち、英語や国語をベネッセに民間委託して歴史に名を残したい。中曽根内閣{JR・NTT・JT:土光敏夫から委託された増税なき財政再建が主柱}・小泉内閣{郵政民営化:実は旧田中派の権力基盤の郵政省をぶっ潰すというのが本心}そして、「こん度は、私の番だ!」と考えた安倍内閣(ベネッセにセンター試験の一部を委託形式で払い下げ:どう考えても民間教育の中枢にベネッセコーポレーションを押しやろうとする下村氏の下心)と、何でもかんでも<やってはいけない領域>の民営化を推し進めたのです。そうした教育利権絡みの善意に満ちた“理想主義”が日本の教育をさらなる混迷へと追いやるように思えてなりません。

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