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コラム
野球・巨人・英語の特権的地位
ここで、共通点は何かの問いを出します。
野球・巨人・英語・(国語)なる名称の共通点は何でありましょうか?
まず野球であります。このスポーツ用語は、最も市民権を有しているものです。と申しますのも、野球以外のスポーツは、卓球(ピンポン)や水球もありますが、ほとんどが、カタカナ書きです。サッカーを蹴球と、ヴァレーボールを排球と、バスケットボールを籠球などと現代ではまず言いません。しかしながら、こと、野球に関して申しますと、明治以来翻訳されて、もっとも慣れ親しんだ和製漢語的スポーツ用語でもあるのです。あまりにも日本語に定着し、日本の野球をスモールベースボールと揶揄するマイナスのイメージを付す意味で野球をベースボールと敢えて呼ぶスポーツ評論家もいるくらいです。これまで、野球は、相撲に次ぐ国民的スポーツ(国技)とされる所以でもあります。
では、巨人という球団名に関してです。この正式名称は、読売ジャイアンツであるのは周知のことです。しかし、テレビや新聞でのプロ野球の試合結果の報じ方をよく考えてみますと、巨人対阪神、巨人対ヤクルト、巨人対DNAといったように~広島は市民球団として戦後発足し、現在公立小学校などで広島カープの時間という授業がある点で、特別例外とします~、本来なら試合の報じ方は、読売対中日などと、新聞社同士の名称を使うべきなのが筋です。しかし、事、ジャイアンツの翻訳名称、巨人という名前が、読売という新聞会社を背後に押しやるほど市民権を得ているのです。
昭和40年代の子供の人気度を示す流行語、“巨人・大鵬・卵焼き”というのもうなづけます。その当時日本のプロ野球のファンの恐らく、7~8割は巨人ファンであったことが首肯できます。プロ野球の代名詞が、ジャイアンツではなく巨人、プロ野球選手のスーパースターこと、長嶋茂雄をミスターという愛称で呼ぶことを思い起こせば納得できるはずです。
そうです。昭和という時代は、相撲以外は野球がスポーツの主役であったのです。これは、長嶋以前は、6大学の学生野球が主役であったことも野球という用語が定着した所以でもあるのでしょう。
これからも、野球という言葉が、日本のプロ野球界の王者、巨人という球団が、読売ジャイアンツという名称以外に“巨人”という特権的名称を有している球界の盟主・王者であったことの証でもあります。
では、もうお分かりかと存じますが、英語も、野球、巨人同様に、イングリシュではなく、イギリス語でもなく、アメリカ語でもなく、英語という、至ってシンプルな名称として“外国語の雄”的存在を表しています。英語以外は、その国の名前に語を付けたりして、その外国語を表します。フランス語を仏語、ドイツ語を独語、スペイン語を西語などとは、日常的には、用いません。英語を、イングリシュというものなら何か、バタ臭い、帰国子女的に鼻につく、厭味ったらしい響きを帯びてしまいます。これは、もう、野球とベースボールくらい、いや、それ以上の質的開きがあります。その英語という土着化した日本語から、英語という語学用語から、学校英語だの、受験英語など、実用英語だの、英(語)会話など、世界でも類を見ない独特の外国語教育の区分け用語が生まれたものと思えるのです。
さて、ここでですが、平成の時代に、野球以外のスポーツ、特にサッカーは野球を脅かす存在となりましたし、近年バスケットボールもプロ化しました。少年達のするスポーツが昭和の時代、7~8割が野球に熱い目線が注がれていましたが、今では、5割前後、それを猛追しているのがサッカーであり、バスケや卓球やバドミントン、今年はラグビーのワールドカップに後押しされたか、ラグビーすらプロ化の話しが出てきているほどです。
プロ野球チームに関しても、日本中のプロ野球ファンの2~3割くらいに巨人ファンは激減してきているはずです。そして、横浜DNAベイスターズや広島カープの試合のチケットなど入手困難になっているほどです。野球評論家の江本孟紀氏などの弁ですが、「昔の横浜大洋対ヤクルトの試合なんか、球場の外野席でバーベキューするやつなんぞおったんですよ、今じゃ、DNA対ヤクルトの試合のチケットが買えないなんて隔世の感があるな、時代が変わったもんや」とラジオで語っていました。
スポーツの世界も野球だけではない、プロ野球の世界も巨人だけではない、多様化しているのが時代の趨勢なのです。しかし、語学はどうでしょう?英語の独占化・専有化・帝国化が増すばかりです。中国人と貿易するには、昭和の時代であれば、中国語が必須でした。いまでは、中国語など話せなくても、中国人の方から、英語を話して商談ができる時代になっています。ダイバーシティー社会と言いながら、語学に関しては、日本のみならず、世界でも英語による‘言語の帝国’化が進んでいる有様です。これほど、GAFAによる経済のグローバル化が進んでいるにも関わらす、政治的・国際的には、内向き・保護主義・自国第一主義の台頭・勃興が顕著です。皮肉なことです。LGBTや人種問題には過敏になっているダイバーシティー社会にあっても、英語第一主義は不変です。
この日本で、スポーツの多様化が進んでいます。高校野球の投球制限や延長線の特別ルールの採用などは、野球からベースボールへの遡行{野球のアメリカナイズ化}かもしれません。こうした健康に軸足を置くスポーツの流れは食い止められないでしょう。来年からは、体育の日ではなく、スポーツの日となるそうです。学校も体育という名称で呼ばれなくなるのも時間の問題かもしれません。また、巨人の人気度も下降線です。昭和なら考えられないことですが、地上波での巨人戦などの放映は、激減しています。BSなどで好きな球団の試合を見ればいいという種族が増えている証拠でもあります。
英語という外国語教育も、本来ならば、中等教育の段階で、フランス語やドイツ語、また、スペイン語や中国語などを教えるカリキュラムがあってしかるべきなのですが、やはり、経済と結びつきの強い、お金に通ずる外国語である英語、受験に直結する科目である英語の人気は一層増すばかりです。文明を象徴する英語が、フランス語やドイツ語といった文化を代弁するマイナー言語を蹴散らしているのが実情です。文化の画一化です。地球全体の生物の絶滅化と同じ運命を辿っています。
ついでに申しあげると、国語という教科も独特の響きを持っています。本来なら、日本語の教科とすべきところを、国語と敢えて名付けているのです。これには、母国語という科目も読み書きから解釈・鑑賞に至るすべてを網羅しての名称であると思われます。これも、独特の、野球に近いニュアンスを有する名称です。
しかし、2022年度から、この国語という科目が、高校の二年生の段階で、「論理国語」と「文学国語」とに分けられるようになりました。大方の高校は、「論理国語」を選択すると言われていますが、「論理国語」とは、外国人が生活に必要な日本語の教科のようなものです。外国人に日本社会の契約書や説明書などの読み方を教える授業を高校生相手にする羽目になる。これなんぞは、授業中にお化粧をしていたり、スマホをいじくっている問題児が多い高校の生徒が英語が話せないと、下のレベルに合わせで、まるで、「運動会でみなさん手をつないでゴールしましょう」的理屈で、<使える英語>に踏み切った路線と同じ方針を、国語に関しても実施しているようなものです。『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社・新井紀子著)を読んで、即、‘論理国語だ!’と大きく舵を切った単細胞文科省というタイタニック号の船員たちを思い起こさずにはいられません。日本の国語教育が、大きな氷山に衝突し、沈没する光景が見えてきます。
野球・巨人・英語・(国語)なる名称の共通点は何でありましょうか?
まず野球であります。このスポーツ用語は、最も市民権を有しているものです。と申しますのも、野球以外のスポーツは、卓球(ピンポン)や水球もありますが、ほとんどが、カタカナ書きです。サッカーを蹴球と、ヴァレーボールを排球と、バスケットボールを籠球などと現代ではまず言いません。しかしながら、こと、野球に関して申しますと、明治以来翻訳されて、もっとも慣れ親しんだ和製漢語的スポーツ用語でもあるのです。あまりにも日本語に定着し、日本の野球をスモールベースボールと揶揄するマイナスのイメージを付す意味で野球をベースボールと敢えて呼ぶスポーツ評論家もいるくらいです。これまで、野球は、相撲に次ぐ国民的スポーツ(国技)とされる所以でもあります。
では、巨人という球団名に関してです。この正式名称は、読売ジャイアンツであるのは周知のことです。しかし、テレビや新聞でのプロ野球の試合結果の報じ方をよく考えてみますと、巨人対阪神、巨人対ヤクルト、巨人対DNAといったように~広島は市民球団として戦後発足し、現在公立小学校などで広島カープの時間という授業がある点で、特別例外とします~、本来なら試合の報じ方は、読売対中日などと、新聞社同士の名称を使うべきなのが筋です。しかし、事、ジャイアンツの翻訳名称、巨人という名前が、読売という新聞会社を背後に押しやるほど市民権を得ているのです。
昭和40年代の子供の人気度を示す流行語、“巨人・大鵬・卵焼き”というのもうなづけます。その当時日本のプロ野球のファンの恐らく、7~8割は巨人ファンであったことが首肯できます。プロ野球の代名詞が、ジャイアンツではなく巨人、プロ野球選手のスーパースターこと、長嶋茂雄をミスターという愛称で呼ぶことを思い起こせば納得できるはずです。
そうです。昭和という時代は、相撲以外は野球がスポーツの主役であったのです。これは、長嶋以前は、6大学の学生野球が主役であったことも野球という用語が定着した所以でもあるのでしょう。
これからも、野球という言葉が、日本のプロ野球界の王者、巨人という球団が、読売ジャイアンツという名称以外に“巨人”という特権的名称を有している球界の盟主・王者であったことの証でもあります。
では、もうお分かりかと存じますが、英語も、野球、巨人同様に、イングリシュではなく、イギリス語でもなく、アメリカ語でもなく、英語という、至ってシンプルな名称として“外国語の雄”的存在を表しています。英語以外は、その国の名前に語を付けたりして、その外国語を表します。フランス語を仏語、ドイツ語を独語、スペイン語を西語などとは、日常的には、用いません。英語を、イングリシュというものなら何か、バタ臭い、帰国子女的に鼻につく、厭味ったらしい響きを帯びてしまいます。これは、もう、野球とベースボールくらい、いや、それ以上の質的開きがあります。その英語という土着化した日本語から、英語という語学用語から、学校英語だの、受験英語など、実用英語だの、英(語)会話など、世界でも類を見ない独特の外国語教育の区分け用語が生まれたものと思えるのです。
さて、ここでですが、平成の時代に、野球以外のスポーツ、特にサッカーは野球を脅かす存在となりましたし、近年バスケットボールもプロ化しました。少年達のするスポーツが昭和の時代、7~8割が野球に熱い目線が注がれていましたが、今では、5割前後、それを猛追しているのがサッカーであり、バスケや卓球やバドミントン、今年はラグビーのワールドカップに後押しされたか、ラグビーすらプロ化の話しが出てきているほどです。
プロ野球チームに関しても、日本中のプロ野球ファンの2~3割くらいに巨人ファンは激減してきているはずです。そして、横浜DNAベイスターズや広島カープの試合のチケットなど入手困難になっているほどです。野球評論家の江本孟紀氏などの弁ですが、「昔の横浜大洋対ヤクルトの試合なんか、球場の外野席でバーベキューするやつなんぞおったんですよ、今じゃ、DNA対ヤクルトの試合のチケットが買えないなんて隔世の感があるな、時代が変わったもんや」とラジオで語っていました。
スポーツの世界も野球だけではない、プロ野球の世界も巨人だけではない、多様化しているのが時代の趨勢なのです。しかし、語学はどうでしょう?英語の独占化・専有化・帝国化が増すばかりです。中国人と貿易するには、昭和の時代であれば、中国語が必須でした。いまでは、中国語など話せなくても、中国人の方から、英語を話して商談ができる時代になっています。ダイバーシティー社会と言いながら、語学に関しては、日本のみならず、世界でも英語による‘言語の帝国’化が進んでいる有様です。これほど、GAFAによる経済のグローバル化が進んでいるにも関わらす、政治的・国際的には、内向き・保護主義・自国第一主義の台頭・勃興が顕著です。皮肉なことです。LGBTや人種問題には過敏になっているダイバーシティー社会にあっても、英語第一主義は不変です。
この日本で、スポーツの多様化が進んでいます。高校野球の投球制限や延長線の特別ルールの採用などは、野球からベースボールへの遡行{野球のアメリカナイズ化}かもしれません。こうした健康に軸足を置くスポーツの流れは食い止められないでしょう。来年からは、体育の日ではなく、スポーツの日となるそうです。学校も体育という名称で呼ばれなくなるのも時間の問題かもしれません。また、巨人の人気度も下降線です。昭和なら考えられないことですが、地上波での巨人戦などの放映は、激減しています。BSなどで好きな球団の試合を見ればいいという種族が増えている証拠でもあります。
英語という外国語教育も、本来ならば、中等教育の段階で、フランス語やドイツ語、また、スペイン語や中国語などを教えるカリキュラムがあってしかるべきなのですが、やはり、経済と結びつきの強い、お金に通ずる外国語である英語、受験に直結する科目である英語の人気は一層増すばかりです。文明を象徴する英語が、フランス語やドイツ語といった文化を代弁するマイナー言語を蹴散らしているのが実情です。文化の画一化です。地球全体の生物の絶滅化と同じ運命を辿っています。
ついでに申しあげると、国語という教科も独特の響きを持っています。本来なら、日本語の教科とすべきところを、国語と敢えて名付けているのです。これには、母国語という科目も読み書きから解釈・鑑賞に至るすべてを網羅しての名称であると思われます。これも、独特の、野球に近いニュアンスを有する名称です。
しかし、2022年度から、この国語という科目が、高校の二年生の段階で、「論理国語」と「文学国語」とに分けられるようになりました。大方の高校は、「論理国語」を選択すると言われていますが、「論理国語」とは、外国人が生活に必要な日本語の教科のようなものです。外国人に日本社会の契約書や説明書などの読み方を教える授業を高校生相手にする羽目になる。これなんぞは、授業中にお化粧をしていたり、スマホをいじくっている問題児が多い高校の生徒が英語が話せないと、下のレベルに合わせで、まるで、「運動会でみなさん手をつないでゴールしましょう」的理屈で、<使える英語>に踏み切った路線と同じ方針を、国語に関しても実施しているようなものです。『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社・新井紀子著)を読んで、即、‘論理国語だ!’と大きく舵を切った単細胞文科省というタイタニック号の船員たちを思い起こさずにはいられません。日本の国語教育が、大きな氷山に衝突し、沈没する光景が見えてきます。
2019年11月12日 17:38