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全面講和か単独講和か、英語教育も同じ!

英語の4技能を同時に伸ばす政策は、全面講和と同じパラダイム!

 

 日本が、サンフランシスコ講和条約を結ぶ前夜のことです。日本中では、全面講和か単独講和かでもめていました。時の首相吉田茂は、自由・民主主義陣営と、まずは、現実的な講和を結ぶことを主張したのに対し、野党や東大総長南原繁などは、理想的な全面講和を主張しました。いわゆる、東欧諸国(社会主義)やソ連や中国(共産党)などの東側陣営とも講和を結ぶべきだ論です。

 しかし、社会主義陣営は、日本の国際復帰など望むべくもありません、いわば、反対です。彼らを巻き込んでの、全面講和など、何年、何十年先か、わかりません。吉田茂は、自由主義陣営とまず、講和を結び、それから、随時、順次、社会主義諸国と国交を結ぶべきだ論を展開しました。この選択は、歴史的に正解でした。

 その時代の、東大総長南原繁の全面講和に対して、吉田は、“曲学阿世の徒”と批判したのは有名です。当時の米ソの冷戦、朝鮮戦争の勃発、こうした世界情勢を考慮した時、吉田の超現実的単独講和、そして、日米安保、サンフランシスコ講和条約は、時代の趨勢の中で、最善策であったといえましょう。しかし、これが現代の対米依存体質の元凶ともなったことは事実ですが、その後の<安保ただ乗り>と朝鮮特需による日本経済の急浮上は有名です。

 

 さて、ここでですが、その歴史の賢例を応用してみたいと思います。

 

 今般、頓挫した、センター試験に変わる民間英語資格試験の導入に関してであります。

 

 民間英語資格試験の理念は間違っていない、つまり、<読み・聞く・書き・話す>という4技能を、高校卒業の段階、いわば、大学入試で試すのは、間違っていない論であります。私に言わせていただくならならば、この4技能を、今の中等教育で全て、求めるのは、東西冷戦の時代、日本が全面講和を締結すべきだ論に近いと思われます。理想であります。教育現場の状況を考えてみてください。学校における授業が空洞化し、実力は塾・予備校に頼らざるをえない実情,あるいは、学校が、進学実績を最優先課題として塾・予備校化している実態など有名な話しです。日本という社会{日本語で用足りる便利社会}などといった、生徒にとって、実用英語を学ぶ環境や動機といったものが、“最悪の反作用として働く社会”の中にあって、その4技能を同時並行的に学ぼうとすればするほど、4技能の中途半端現象が、現場の中学生高校生に起こっているのです。この実態を誰も指摘しません。何度も、申し上げていることですが、中学生における英検3級、高校生における英検2級、こうした肩書(タイトルホダー)が、どれほど名ばかりであることか!政治家・文科省はもちろん、大方の現場教師でさえその実態は知らないことだろうと思われます。

 この場では、詳しく申しあげませんが、当塾に入塾してくる中学生で、「3級、準2級を持っています」また、高校生で、「2級、準1級を持っています」と高らか面談などで応える生徒さんがいらっしゃいますが、実際に、簡単な和文英訳(英作文)をさせてみると、どれほど、その級の基準に到達していない生徒が多いことか、このコラムの「英検タイトルホダーの実態」の回をお読みいただくと納得されるはずです。こうした資格と実力の大きな乖離を大っぴらに英語教育関連雑誌や、新聞その他で指摘する有識者・教育関係者など皆無なのです。その級をもっていれば、即、それだけの実力と無知なる大衆や蒙昧な親御さんが勘違いしているのです。

 2020年度に民間資格英語試験を導入していたら、もっともっと、こうした英語の実力の空洞化を招来していたであろうと、このたび安堵の念に浸っているところです。以前にも用いた比喩ですが、バブルたけなわの時代、薄利多売で売り上げ日本一を目指し、それにご満悦だった量販店ダーエーと、売り上げは二の次、経常利益(営業利益)第一主義で通したヨーカードーのその後の流通業界での運命の違いです。

 まず、中等教育の段階では、<読み・書き>これを徹底的に鍛える、そのプラスαで、生徒各自にCDや音声器具で、<聞く>を鍛錬させる。そして、高等教育の段階で、<話す>技能を、学生の将来の目的・目標に応じて、ブラシュアップさせる、さらに、<書く>技能を、アカデミックライティングとして飛躍させる授業をする。これで十分なのです。

 

 単独講和から全面講和へと戦後の日本が国際復帰した手順を、英語習得においても、準えるべきであるというのが、現実主義者の私としての教育方針でもあるのです。

 

 自由主義・民主主義陣営と、まず単独講和を結ぶ、これは、中等教育(中学高校)において、まず<読み><書く>を徹底的に習得する。極論ではありますが、京大2次の英語の英文和訳や和文英訳なら、7割以上はゲットできる域にもってゆく、もちろん、センター試験の英語なら、9割以上は当然ゲットできる実力は言うまでもありません。これが、中等教育の一目安とします。

 

 社会主義・共産主義陣営と、次の段階で、国交を結ぶか、できれば、平和条約を随時締結する、これが、高等教育(大学)における、<話す>能力のスキルアップと<書く>能力のレベルアップであります。

 真の<読み><書く>能力があれば、それに付随して<話す><聞く>能力も伸びるというのが、私の持論であります。母国語である日本語という土壌がしっかりとしていればいるほど、英語という苗木がしっかりと育つ、英語の<読み><書き>の能力が盤石であればあるほど、そこに植える野菜(経済学部)、生花(文学部)、小麦(政治学部)などで必要な<使える英語>が、見事に育つ、これが、私が他者に譲れない持論であります。

 物事には、超優秀な人(有識者委員会のメンバーなど)、また、語学環境が恵まれていた人(帰国子女や素晴らしい教師に出会った人など)は例外でありますが、手順・段階というものがあるのです。また、典型的な例ですが、文系女子(上智ICU志望)タイプもいれば、理系男子(東工大早稲田理工志望)タイプもいます。前者は、大学生になって<話し・聞く>能力を花開かせたい夢を抱く傾向にあります。それに対して、後者は、研究者の卵として、英語の論文が読め、英語で論文が書ければ、御の字であるとするタイプです。どちらのタイプにしろ、中等教育の段階で、どれだけ英語の<読み><書く>を徹底してマスターしたかで、その後の<伸びしろ>が違ってくるのは、子供の砂遊びで、時間をかけて、どれだけ土台を広く砂を盛った子が、一番高い山を築けるのと同義であります。この教育上の真実を忘れ、短史眼的に、“曲学阿世の徒”の如く、“教育原則居士”がいかに世の中に多いかに辟易します。それには、知識人・評論家・政治家は大勢含まれます。さらに悪いことに、それに、賛同し、同調する、親御さんや、塾・予備校関係者が如何に多いか、それこそ、英語教育実用化優先の‘大政翼賛会’とも申せましょう。

教育の社会主義的・理想主義的手法のことです。<使える英語>というファシズムです。こうした手法を導入しようと画策した、下村博文元文科大臣、それをバックアップした慶應義塾元塾長安西祐一郎、それを黙認し、支持した安倍晋三は、英語教育における<全面講和>を主張した、昭和20年代の社会党・共産党のパラダイムしか持ち合わせていない、英語教育空想論者と断罪してもよいかと思います。そこが、私が、日ごろ、安倍政権が、似非保守と烙印を押している所以です。その政治家が、真の保守か否か、政治的側面、憲法改正云々閑雲、安保問題などから判明するのではありません、そうしたイデオロギー的側面から一番遠い所に、その政治家の真の姿が表れてもくるのです。不寛容で、教養なき保守は保守ではなく、‘似非右翼’です。


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