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HOME > コラム > 夏の甲子園中止と東大入試中止(1969)
コラム
夏の甲子園中止と東大入試中止(1969)
5月21日(木)の全てのスポーツ紙の一面の見出しである。
夏の甲子園も中止
一度だけ開催された無観客による大相撲春場所(3月場所)の如きに、今年の夏の甲子園も開催発表ができなかったものか?これも、世の中の人命第一主義という社会的風潮に高野連がある意味、“忖度した、屈した”と判断したといったほうがよさそうである。高校球児は、本当に気の毒としか言いようがない!学徒出陣の大学生の如き心持であったことであろう。
先日テレビで、横浜高校の監督が語っていたことが印象的であった。
「球児たちは、甲子園があるから、甲子園に出たい、だから、死ぬような練習にも耐えられる。自身の限界を超える練習で才能、技術が伸びもするのです」
もし、オリンピックも、国体も、インターハイも、なくしたら、それぞれの種目のアスリートのスキルがどれほど向上するであろうか?趣味の段階の、一段か、せいぜい二段程度上のレベルにとどまるまるのは必定である。
甲子園に関しても、同様である。よく議論の対象もとなってきた、投手の投球制限や延長戦の制限(タイブレーク制)など、スポーツ科学の“最左翼”評論家桑田真澄などが主張してもいる、球児の身体の安全第一主義、アスリートの将来性ファースト思考、一種アメリカの近代スポーツ理論を引用して論陣を張ってもいるのだが、それも一理はある、しかし、高校球児にとっては、甲子園に出ること、甲子園で勝つこと、甲子園で優勝すること、これが、17,18歳の青少年の夢であり、その先までは考慮の対象外なのである。「肩を痛め、肘や膝に故障すら生じて、その後野球ができなくなっても、それで後悔はなし!」こうした覚悟で日々練習してきたはずである。桑田氏は、これを過保護でもいい、球児の将来を見据えて、根性論で行われてきた高校野球にタガをはめる、くさびを打ち込む、こうしたことをこれからはしなくてはならないと主張している。この論調と、先日の高野連の判断はまさに一致する。
今般、球児たちの感情は、入学式や卒業式が叶わなかった小学生から高校生の悲しみ、悔しさの程度ではないはずだ。これらは、安倍首相の2月休校要請の判断から、すべて玉突き状態でもたらされたことの“最大の悲劇”である。
この夏の甲子園中止の判断から、1969年の東大入試中止{※この災難で人生が変わった有名人が竹中平蔵や高橋源一郎である}が頭をよぎった。これは、一般の、日本中の秀才が、自身の将来の方向性を見失った状況にも重なって、色々な、複雑な想いを馳せずにはいられない。2021年1月から2月にかけて、どれほどの数の大学がコロナ禍で入試が中止されるか危惧されてならないのである。このコロナ禍で、大学当局も理性を失ってか、全てが全て、高校の成績(内申)や英検などの資格系テストのスコアーのみで受験者は判別するという愚挙だけはしてほしくないものである
センター試験モドキの、大学入学共通テストという“競技”に、授業日数不足“練習不足”の高校生ともいえる若者“アスリート”が臨まざるをえない状況、それも、試験会場“競技場”が、様々な制約・制限“無観客”で行われるであろうと想定される来年1月、2月は、2021年に延期されたオリンピックと重なって見えるのは私の妄想だろうか?
来年の第1回大学入学共通テストが、センター試験擬き、いわば出来損ないのセンター試験、それを行う試験会場も、全員マスク着用が義務付けられ、様々な制約などが課せられる環境の中、勉強の準備も不十分・不満足な受験生が臨む、これまでにない<異様な受験シーズン>となることは間違いなさそうである。
2020年6月 8日 16:42