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HOME > コラム > オンライン授業幻想に目覚める時~2021年?~
コラム
オンライン授業幻想に目覚める時~2021年?~
理想主義の代価は、過去になった時点で、それが大きな負債となって返ってくる。
安易なる、恐怖に駆り立てられた理想主義は、ある意味、思考停止と同じである。
勉強よりも命の方が大切!
経済より命の方が重要!
アナログよりデジタルの方が優る!
この3つの命題に異議を掲げたいと思う。
医療の専門家には、政治家や経済人、教育者は何も異議を唱えられない。命の御旗には、反旗が掲げられない、人命主義というミカドには、誰しも逆賊にはなりたがらない。以前「人命は地球より重い」と言って連合赤軍派の人質を解放した日本の首相がいた。ダッカ日航機ハイジャック事件でのことである。
社会人は、テレワークだの、リモートワークだの、大手のホワイトカラーの職種のみ適用可能な手法を、中小企業や対面を必要とするサービス業にまで強要するコロナ旋風が吹き荒れている。一方教育界では、オンライン授業と称して、ソーシャルディスタンスの適用による20人授業、それによる週3日登校、その後、教育の負と遺産となって返ってくることに誰も異議を唱えられず、またその“弊害”への警鐘をも鳴らせず、この半年、一年は、続いてゆくことだろう。
サンフランシスコ講和条約の締結の際、日本の世論が全面講和か、単独講和かで割れた。また、岸内閣の時代、新安保改定で、新安保反対の闘争が日本中に吹き荒れた。30万もの人がデモに参加した異常事態である。理想と現実の認識の正邪が、その後、吉田や岸の慧眼として、はっきりした。しかし、岸の結んだ日米安保も賞味期限を過ぎたのか、今や対米追従のデッドロックとしてトランプ・安倍ゴルフ外交としていびつな形で浮上してきた。
遣唐使という、難破という死をも覚悟しての留学生という勇気ある賢者がいた。もし、死を恐れ、当時世界最先端の中国文化・アジア文明というものを吸収しようという気概がなければ、恐らく、平安時代の文化、そして、その後の日本国の文化・文明の発展はおぼつかなかったことであろう。遣唐使が、ある意味、長いスパンで観れば福澤諭吉の西欧体験の端緒ともなっていたともいえる。私のもっとも好きな言葉の一つである。 「危険を避けようとすればするほど危険なことはない」を挙げておこう。織田信長の桶狭間の戦い然り、島津義弘の関ヶ原の合戦での敵陣中央突破然りである。
この逆説の反対の真実は、「急がば回れ」でもある。これも真理である。この2つの箴言を融合すると、ビルゲイツの名言、禅的な言葉、「慎重に焦れ!」にぶち当たる。これが、令和の時代に政治家から教育関係者に至るまで、玩味できていないようである。
さて、令和2年、コロナ禍が、教育界をオンライン授業一辺倒へと舵を切らせた。これはデジタルによる、リモート・ラーニング、テレ・スタディと呼んでもいいものだ。この用語を用いると、オンライン授業の負の側面が浮かび上がってもこよう。レイプや強姦を、暴行という当たりさわりのない言葉でメディアが報じるのと同じ、手前勝手な表記でもある。
本年度の、高校合格実績、大学合格実績が、果たして見ものである。「へぇ~!この高校、こんなにMARCHの合格者を減らしたんだ!」「あれ、この高校、意外と有名大学の合格者を増やしているじゃん!」などなどである。この合格実績の浮き沈みは、オンライン授業の充実度にあると私は考えていない。むしろ、どれほど早く、対面授業、40人学級、ビフォーコロナの授業スタイルに学校当局が戻した、回帰したか否かで決まると予想する。“リモートワークからオンライン授業”へ、“三密回避から週3日授業という授業日数不足事態”へ、社会や大人に依拠する掟を、学校や子供・少年少女へ適用する愚挙、これにいち早く気づいた学校・塾関係者が、教育のジャンルの勝ち組になると断言する。五か条の御誓文ではないが、英精塾の三か条の理念というものを挙げさせていただく。
「文科省からの指導とは真逆のことをやる」⇒オンライン授業軽視、無視!
「教科書から遠く離れて、教科書をある意味無視して教授する」
「国の方針など一切考慮せず、科目を教える」⇒ソーシャルディスタンス・三蜜、軽視!
これらを、コロナ禍の時代の中で貫徹する所存でいる。
話は、変わるが、ハリウッド映画で、大型客船の沈没をテーマとした、「ポセイドン・アドベンチャー」「タイタニック」など多数があるが、こうした沈没船の生存者は、おおむね避難を誘導するその船舶の乗務員や係員などの責任者・権威者に導かれた者たちではない。彼らは海の藻屑となる運命なのだ。むしろ、自身で考え、行動し、判断した少数の乗客のみが生存者となる顛末(ストーリー)はあまりに有名である。
令和3年、もしオリンピックが開催されていれば、その時、賢明なる学校では、40人学級で、対面授業、教師の、あのバカげたフェイスシールドなど一切なく、多分、生徒のマスク着用さえない授業光景を私は予見している。その時こそ、令和2年の安倍首相による2月末の休校要請が、いかに、間違っていたか、その証拠ともなるであろう。太平洋戦争における学徒出陣の如く、日本中の一斉休校措置が、どれほど、不要不急ならぬ、無用無駄な選択であったかに気づくときでもある。「コロナ自粛の教育的判断は、ゆとりの教育の遠回りと同じ“負の轍”を踏んでいたのだ!」このように後世語り継がれていくものと予言する。
余談だが、もし私が、某私立中高一貫校の校長、また理事長であれば、来年度の募集要項には、次のような内容をアピールするキャチコピーを目立つように記載するつもりでいる。この文言で、自校の理念・方針が一致するご父兄をすでに、選別する手段でもある。
自校は、コロナ対策としてオンライン授業は、すでに一切しておりません。
自校は、三蜜やソーシャルディスタンスには過剰なまでにこだわってはいません。
自校は、世の中のコロナ対策の基準とは、距離をおいて学園運営をしております。
自校は、マスク着用、消毒液の設置、手洗いの奨励など必要最低限は実施しております。
「非常識だ!」「とんでもない学校だ!」という声を覚悟の上でのことである。
安易なる、恐怖に駆り立てられた理想主義は、ある意味、思考停止と同じである。
勉強よりも命の方が大切!
経済より命の方が重要!
アナログよりデジタルの方が優る!
この3つの命題に異議を掲げたいと思う。
医療の専門家には、政治家や経済人、教育者は何も異議を唱えられない。命の御旗には、反旗が掲げられない、人命主義というミカドには、誰しも逆賊にはなりたがらない。以前「人命は地球より重い」と言って連合赤軍派の人質を解放した日本の首相がいた。ダッカ日航機ハイジャック事件でのことである。
社会人は、テレワークだの、リモートワークだの、大手のホワイトカラーの職種のみ適用可能な手法を、中小企業や対面を必要とするサービス業にまで強要するコロナ旋風が吹き荒れている。一方教育界では、オンライン授業と称して、ソーシャルディスタンスの適用による20人授業、それによる週3日登校、その後、教育の負と遺産となって返ってくることに誰も異議を唱えられず、またその“弊害”への警鐘をも鳴らせず、この半年、一年は、続いてゆくことだろう。
サンフランシスコ講和条約の締結の際、日本の世論が全面講和か、単独講和かで割れた。また、岸内閣の時代、新安保改定で、新安保反対の闘争が日本中に吹き荒れた。30万もの人がデモに参加した異常事態である。理想と現実の認識の正邪が、その後、吉田や岸の慧眼として、はっきりした。しかし、岸の結んだ日米安保も賞味期限を過ぎたのか、今や対米追従のデッドロックとしてトランプ・安倍ゴルフ外交としていびつな形で浮上してきた。
遣唐使という、難破という死をも覚悟しての留学生という勇気ある賢者がいた。もし、死を恐れ、当時世界最先端の中国文化・アジア文明というものを吸収しようという気概がなければ、恐らく、平安時代の文化、そして、その後の日本国の文化・文明の発展はおぼつかなかったことであろう。遣唐使が、ある意味、長いスパンで観れば福澤諭吉の西欧体験の端緒ともなっていたともいえる。私のもっとも好きな言葉の一つである。 「危険を避けようとすればするほど危険なことはない」を挙げておこう。織田信長の桶狭間の戦い然り、島津義弘の関ヶ原の合戦での敵陣中央突破然りである。
この逆説の反対の真実は、「急がば回れ」でもある。これも真理である。この2つの箴言を融合すると、ビルゲイツの名言、禅的な言葉、「慎重に焦れ!」にぶち当たる。これが、令和の時代に政治家から教育関係者に至るまで、玩味できていないようである。
さて、令和2年、コロナ禍が、教育界をオンライン授業一辺倒へと舵を切らせた。これはデジタルによる、リモート・ラーニング、テレ・スタディと呼んでもいいものだ。この用語を用いると、オンライン授業の負の側面が浮かび上がってもこよう。レイプや強姦を、暴行という当たりさわりのない言葉でメディアが報じるのと同じ、手前勝手な表記でもある。
本年度の、高校合格実績、大学合格実績が、果たして見ものである。「へぇ~!この高校、こんなにMARCHの合格者を減らしたんだ!」「あれ、この高校、意外と有名大学の合格者を増やしているじゃん!」などなどである。この合格実績の浮き沈みは、オンライン授業の充実度にあると私は考えていない。むしろ、どれほど早く、対面授業、40人学級、ビフォーコロナの授業スタイルに学校当局が戻した、回帰したか否かで決まると予想する。“リモートワークからオンライン授業”へ、“三密回避から週3日授業という授業日数不足事態”へ、社会や大人に依拠する掟を、学校や子供・少年少女へ適用する愚挙、これにいち早く気づいた学校・塾関係者が、教育のジャンルの勝ち組になると断言する。五か条の御誓文ではないが、英精塾の三か条の理念というものを挙げさせていただく。
「文科省からの指導とは真逆のことをやる」⇒オンライン授業軽視、無視!
「教科書から遠く離れて、教科書をある意味無視して教授する」
「国の方針など一切考慮せず、科目を教える」⇒ソーシャルディスタンス・三蜜、軽視!
これらを、コロナ禍の時代の中で貫徹する所存でいる。
話は、変わるが、ハリウッド映画で、大型客船の沈没をテーマとした、「ポセイドン・アドベンチャー」「タイタニック」など多数があるが、こうした沈没船の生存者は、おおむね避難を誘導するその船舶の乗務員や係員などの責任者・権威者に導かれた者たちではない。彼らは海の藻屑となる運命なのだ。むしろ、自身で考え、行動し、判断した少数の乗客のみが生存者となる顛末(ストーリー)はあまりに有名である。
令和3年、もしオリンピックが開催されていれば、その時、賢明なる学校では、40人学級で、対面授業、教師の、あのバカげたフェイスシールドなど一切なく、多分、生徒のマスク着用さえない授業光景を私は予見している。その時こそ、令和2年の安倍首相による2月末の休校要請が、いかに、間違っていたか、その証拠ともなるであろう。太平洋戦争における学徒出陣の如く、日本中の一斉休校措置が、どれほど、不要不急ならぬ、無用無駄な選択であったかに気づくときでもある。「コロナ自粛の教育的判断は、ゆとりの教育の遠回りと同じ“負の轍”を踏んでいたのだ!」このように後世語り継がれていくものと予言する。
余談だが、もし私が、某私立中高一貫校の校長、また理事長であれば、来年度の募集要項には、次のような内容をアピールするキャチコピーを目立つように記載するつもりでいる。この文言で、自校の理念・方針が一致するご父兄をすでに、選別する手段でもある。
自校は、コロナ対策としてオンライン授業は、すでに一切しておりません。
自校は、三蜜やソーシャルディスタンスには過剰なまでにこだわってはいません。
自校は、世の中のコロナ対策の基準とは、距離をおいて学園運営をしております。
自校は、マスク着用、消毒液の設置、手洗いの奨励など必要最低限は実施しております。
「非常識だ!」「とんでもない学校だ!」という声を覚悟の上でのことである。
2020年6月22日 17:07