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コラム
私のSNS論~➁学習編~
標準的進学校、それも中高一貫校に限り、生徒達に、タブレット端末やスマホを使用した学習を奨励している実態が、私の塾の教え子を通して垣間見られてくる今日このごろです。
これから述べることは、あくまでも私見であり、個人的推測の域を出ないものなので、賛同するか否かは、その親御さん、また中学生、高校生の生徒さん自身の判断にお任せします。また、関東・関西近辺(都市圏)と東北や九州の教育環境がハンディとなる地域では、こうしたデジタルツールの意義は、ある意味、本論とはずれる場合があることを保留しておきます。
まずもって言わせてもらえば、リクルート社のスマホによるスタディサプリ、これなんぞは、デパ地下の試食・つまみ食い程度のものであり、タブレット端末の学習などは、コンビニのイートイン程度のものです。また、自宅のパソコンなどを使用したブロードバンド授業などは、スーパーやデパートの惣菜を購入して自宅で気軽に食べる中食程度のものです。これらは、2時間、3時間など集中して学習できないツールであり、ましてや、視力を落とす元凶にもなりお薦めできる代物ではありません。ある意味、学校の教室内で、紙のノートとテキスト、そして黒板と生の教師の声こそが、家庭内で、お母さんが手料理して味わうまっとうな食事(内食)=勉強というものです。そして、塾や予備校の授業こそ、外食、即ち、その母親が家庭料理が得意でも、作れない中華料理やイタリアン、また、寿司料理といったところでしょうか。やはり、自宅の家庭料理(内食)とグルメの両親に伴われて一流レストランや和食店などでの外食、これらが、その子の舌を養ってゆくものです。これが、勉強の質と深い理解を伴うということの謂いでもあります。いつも、レトルト食品やインスタント食品、冷凍食品をチンしてあてがわれている子供と、そうでない子供、舌の肥えた感覚の差というものがもろに出てきます。
リクルート社のスマホ見放題のスタディサプリなどは、世のカリスマ講師が担当していても、その名の通りサプリ、サプリメントに過ぎません。毎日、米、パン、肉、魚、野菜などを食せず、錠剤のサプリメントだけで生活するということが、どれほど、身体に悪いか、成長を阻むか、頭脳とて同じことです。「今日は、部活が休みか、帰りにスタバでスマホ学習でもするか!」「何もすることがないわ、そうだ、ちょっとスマホのサプリでも見よっか!」この程度の学習動機でスマホと向き合っている心象風景が見えてきます。実力が付くはずもありません。学校の先生の説明不足や学校以上にもっと深い理解を求めて、ちょと眺める程度ならまだしも、学校の授業の時間に居眠りや内職をして、放課後、スタバあたりで、スマホを見つめて、実力が付いたと錯覚している高校生が如何に多いかに驚かされます。SNSというツールによる勉強は、30分も経たず、画面をクリックして、今日のニュースだの、好きなアイドルやミュージシャンのブログの確認だのに気を取られ、集中力が続かない人が大方だと思います。
世の中全体が、まさに情報化社会、それも、SNSの文明の利器を率先して使わない手はないといった外部の目線(=大人社会の考え~文科省さえそちらに舵を切ろうとしている~)で、学校と生徒という教育の世界を判断しがちであります。私に言わせれば、未成年は、なぜタバコやお酒がいけないのか、なぜ十分な睡眠が必要なのか、これは、生物学的視点でも、理に適っています。脳や身体が成長する18歳くらいまでは、学習の面でも同様なのです。譬えは極端ですが、卵の中の鳥の胎児から孵化する手前の雛鳥、つまり、殻の中で生育する鳥の期間こそ、小中高の段階でもあるのです。この生物として当然なプロセスを、不自然なデジタルという外気に殻(学校)を無理やり破って晒しては、その胎児は死んでしまう、いや、生育不全の状態で孵化してしまう。これと同じことを、現在の日本の教育界は推進してもいるのです。ご存じの方はいるやもしれませんが、教育におけるアナログ、身体としての領域の大切さを力説している斉藤孝氏、内田樹氏、陰山英男氏などの教育論などは、耳に、目に、そして頭に入ってはこない親御さんが多すぎるのです。断言します。理性と知性というものがない部族です、それが、現代の大衆でもあります。
それは、20~30代の母親が、スマホ育児を不自然とは感じていない割合が半数以上を占めることがそれを証明しています。こうした親御さん達は、まず、本という環境に疎遠の人種であり、我が子に、絵本を読み聞かせる習慣などもたない部族でもありましょう。彼らの憧れは、理想は、我が子をロボット研究者として名高い石黒浩、メディアアーティストとして注目されている落合陽一、チームラボ代表猪子寿之のように、世界的レベルのサイエンティストの天才に育ってほしい、また、eスポーツのカリスマゲーマーなどでも構わないとさえ考えてもいるように見受けられます。よく言われることですが、天才とは、教育で生まれてくるものではないということです。努力にもある意味限界があるのです。名監督でもあった野村克也氏は、自著のあちらこちらで述べています。「4番打者とエースピッチャーは育てることはできない」と。
こうした人種の心根には、我が子三男一女を東大理科三類に入れた佐藤ママこと佐藤亮子氏の本を読み、我が子を東大にと熱を上げる母親、ビリギャルの本を読んで、私も慶應にと夢見る女子高生と同じ幻想病理が透けて見えてくるのです。為末大の言葉です。「ボルトの手法を真似ても、ボルトにはなれない」
世の中がデジタル社会だから、時代はコンピュータを自在に操ることが必要な社会だから、数十年後のAI社会に備えた教育が必要だから、こうした時代の“追い風”に自身の子供の教育手法を合わせるということが、どれほど、理性で考えれば不自然にして、不合理なことか。2020年以降、小中でプログラミング教育やアクティブラーニングといった体のいい美辞麗句の文科省の大号令に踊らされている蒙昧なる大衆も同じことです。それは、早期英語教育の負け組の数がそれを証明してもいます。世の英語の勝ち組は、小学校で英語などやらなかった部族です。やる時間もなかった部族です。しかし、国語、算数、理科、社会で脳を耕してきた部族です。開成、麻布、桜蔭の少年少女達です。彼らは、中学校から英語を始めても、大学受験で必要な英語、その後、大学生、社会人となっても自助努力で、品格のある英語の使い手に成長するのです。彼らは、サピクスや日能研で、タブレット端末で算数などの問題は解きません。紙と鉛筆で手を動かして問題と格闘しているのです。また、スマホなど当然、ガラケーすらも持っていない、子供用ガラケーで親と連絡をとるツールしか持っていない生徒が大方です。そうです。学習する、小学校の段階の学習の殻というものを認識しているからです。公立の小学校に通い、中学受験はしないけれど、そこそこ公立小学校での成績がよく、小学生からECC子供英会話スクールなんぞに通っている子供は、公立中学校で、そんな英語の伸びしろなど生まれてはきません。カチカチ山の泥舟の如くに沈んで行きます。文科省の方針、社会の間違った風潮にだまされた“タヌキ”同然なのです。
弊塾に小学校5年、6年生で入塾を希望されてくる親御さんがいます。理由は、「できれば小学校のうちに英検3級、できれば準2級くらい取って欲しいからです」といったものが大半を占めます。そこで、そのお母様に、お断りの条件として、次のように言うのです。「小学生で、漢字検定2級をお取りになられたら、いつでも喜んで、お子さんに英語をお教えいたします」と。こうした親御さんに限り我が子に小学生のうちからスマホを持たせ、デジタル教育賛同者の予備軍となってゆくものです。因みに、公文式英会話教室、ECC子供英会話教室、ベネッセ子供英語教室などで、どれほど、アイパット端末システムを取り入れているか、講師不足もあるでしょう、また、フランチャイズ教室上の授業の質の均質化もあるでしょう、しかし、それ以上に、こうした短絡的・軽薄的顧客を囲い込む営業方針が根底にあるのです。
実際に、弊塾に近年「弊社の…子供会話スクールのフランチャイズになりませんか?」と営業勧誘の電話が頻繁にかかってきます。あまりにうるさいので、一度お会いしたことがあります。そして、その某有名な…子供英会話スクールの営業マンと2時間あまり、説明を聞き、最後にこちらか、本論で述べているような主旨で、その人を論破したことがありました。教室を出て行くその営業マンに、“こしたシステムで本当に将来、その子が英語をぺれぺら自在に話せるとお思いですか?”と尋ねたところ、“実は、塾長さんのおっしゃる通りです。私に、子供がいれば弊社のフランチャイズ教室には通わせません、仕事ですから、こうした勧誘は”と苦笑いしながら出て行ったことが印象深く残っています。
中学校の段階、そして、高校の段階も、それぞれの勉学の殻という内部で脳を鍛えなければならない段階というものがあるのです。私のモットーでもありますが、時代がどんなにでデジタル化しようとも、初等・中等教育の場は、デジタルの最後尾、できれば、アナログの最先端に位置していることが、小学校から高校までの12年間という40キロのマラソンで、最後の2.195(高校3年の1月と2月)キロという大学入試という極限状態で勝利するものなのです。次のエピソードは以前にもアナログ教育がどれほど大切かのコラムでも用いた内容です。
NHKの教育番組でのやり取りです。ゲストは宮崎駿と養老孟司です。そして、少年少女が大勢スタジオにいます。最後の質問コーナーでのことです。
「宮崎先生、僕は、先生のアニメをすべて観ています。また、その他たくさんのアニ
メも観てきました、どうしたら、先生のような素晴らしアニメが作れる人になれますか?」
「答えは簡単です。明日から、アニメを観ないことです。そのかわり、読書をしなさい」
これは、アナログの大切さを宮崎氏は、強調されたかったのだと思います。どれほど
の数の“読書…”という文字の入った新書なり本が、現在出版されているか、それは、“孤
独…”や“教養…”といった文字の入った書籍の数に猛追する勢いでもあります。
先日、ルパン三世の原作者モンキー・パンチ(加藤一彦)さんが亡くなられましたが
彼も北海道の片田舎で、テレビもない家庭で、家業のコンブ取りを手伝いながら「三銃
士」「怪人二十面相」を読みふけっていた経験が、強烈で、超個性的なキャラクター、ル
パン・次元・五右衛門・銭形・不二子というヒーローとして開花したのです。
※弊塾の2018年9月のコラム「アナログ教育が如何に大切か!」をお読みいただく
ことをお薦めします。
これから述べることは、あくまでも私見であり、個人的推測の域を出ないものなので、賛同するか否かは、その親御さん、また中学生、高校生の生徒さん自身の判断にお任せします。また、関東・関西近辺(都市圏)と東北や九州の教育環境がハンディとなる地域では、こうしたデジタルツールの意義は、ある意味、本論とはずれる場合があることを保留しておきます。
まずもって言わせてもらえば、リクルート社のスマホによるスタディサプリ、これなんぞは、デパ地下の試食・つまみ食い程度のものであり、タブレット端末の学習などは、コンビニのイートイン程度のものです。また、自宅のパソコンなどを使用したブロードバンド授業などは、スーパーやデパートの惣菜を購入して自宅で気軽に食べる中食程度のものです。これらは、2時間、3時間など集中して学習できないツールであり、ましてや、視力を落とす元凶にもなりお薦めできる代物ではありません。ある意味、学校の教室内で、紙のノートとテキスト、そして黒板と生の教師の声こそが、家庭内で、お母さんが手料理して味わうまっとうな食事(内食)=勉強というものです。そして、塾や予備校の授業こそ、外食、即ち、その母親が家庭料理が得意でも、作れない中華料理やイタリアン、また、寿司料理といったところでしょうか。やはり、自宅の家庭料理(内食)とグルメの両親に伴われて一流レストランや和食店などでの外食、これらが、その子の舌を養ってゆくものです。これが、勉強の質と深い理解を伴うということの謂いでもあります。いつも、レトルト食品やインスタント食品、冷凍食品をチンしてあてがわれている子供と、そうでない子供、舌の肥えた感覚の差というものがもろに出てきます。
リクルート社のスマホ見放題のスタディサプリなどは、世のカリスマ講師が担当していても、その名の通りサプリ、サプリメントに過ぎません。毎日、米、パン、肉、魚、野菜などを食せず、錠剤のサプリメントだけで生活するということが、どれほど、身体に悪いか、成長を阻むか、頭脳とて同じことです。「今日は、部活が休みか、帰りにスタバでスマホ学習でもするか!」「何もすることがないわ、そうだ、ちょっとスマホのサプリでも見よっか!」この程度の学習動機でスマホと向き合っている心象風景が見えてきます。実力が付くはずもありません。学校の先生の説明不足や学校以上にもっと深い理解を求めて、ちょと眺める程度ならまだしも、学校の授業の時間に居眠りや内職をして、放課後、スタバあたりで、スマホを見つめて、実力が付いたと錯覚している高校生が如何に多いかに驚かされます。SNSというツールによる勉強は、30分も経たず、画面をクリックして、今日のニュースだの、好きなアイドルやミュージシャンのブログの確認だのに気を取られ、集中力が続かない人が大方だと思います。
世の中全体が、まさに情報化社会、それも、SNSの文明の利器を率先して使わない手はないといった外部の目線(=大人社会の考え~文科省さえそちらに舵を切ろうとしている~)で、学校と生徒という教育の世界を判断しがちであります。私に言わせれば、未成年は、なぜタバコやお酒がいけないのか、なぜ十分な睡眠が必要なのか、これは、生物学的視点でも、理に適っています。脳や身体が成長する18歳くらいまでは、学習の面でも同様なのです。譬えは極端ですが、卵の中の鳥の胎児から孵化する手前の雛鳥、つまり、殻の中で生育する鳥の期間こそ、小中高の段階でもあるのです。この生物として当然なプロセスを、不自然なデジタルという外気に殻(学校)を無理やり破って晒しては、その胎児は死んでしまう、いや、生育不全の状態で孵化してしまう。これと同じことを、現在の日本の教育界は推進してもいるのです。ご存じの方はいるやもしれませんが、教育におけるアナログ、身体としての領域の大切さを力説している斉藤孝氏、内田樹氏、陰山英男氏などの教育論などは、耳に、目に、そして頭に入ってはこない親御さんが多すぎるのです。断言します。理性と知性というものがない部族です、それが、現代の大衆でもあります。
それは、20~30代の母親が、スマホ育児を不自然とは感じていない割合が半数以上を占めることがそれを証明しています。こうした親御さん達は、まず、本という環境に疎遠の人種であり、我が子に、絵本を読み聞かせる習慣などもたない部族でもありましょう。彼らの憧れは、理想は、我が子をロボット研究者として名高い石黒浩、メディアアーティストとして注目されている落合陽一、チームラボ代表猪子寿之のように、世界的レベルのサイエンティストの天才に育ってほしい、また、eスポーツのカリスマゲーマーなどでも構わないとさえ考えてもいるように見受けられます。よく言われることですが、天才とは、教育で生まれてくるものではないということです。努力にもある意味限界があるのです。名監督でもあった野村克也氏は、自著のあちらこちらで述べています。「4番打者とエースピッチャーは育てることはできない」と。
こうした人種の心根には、我が子三男一女を東大理科三類に入れた佐藤ママこと佐藤亮子氏の本を読み、我が子を東大にと熱を上げる母親、ビリギャルの本を読んで、私も慶應にと夢見る女子高生と同じ幻想病理が透けて見えてくるのです。為末大の言葉です。「ボルトの手法を真似ても、ボルトにはなれない」
世の中がデジタル社会だから、時代はコンピュータを自在に操ることが必要な社会だから、数十年後のAI社会に備えた教育が必要だから、こうした時代の“追い風”に自身の子供の教育手法を合わせるということが、どれほど、理性で考えれば不自然にして、不合理なことか。2020年以降、小中でプログラミング教育やアクティブラーニングといった体のいい美辞麗句の文科省の大号令に踊らされている蒙昧なる大衆も同じことです。それは、早期英語教育の負け組の数がそれを証明してもいます。世の英語の勝ち組は、小学校で英語などやらなかった部族です。やる時間もなかった部族です。しかし、国語、算数、理科、社会で脳を耕してきた部族です。開成、麻布、桜蔭の少年少女達です。彼らは、中学校から英語を始めても、大学受験で必要な英語、その後、大学生、社会人となっても自助努力で、品格のある英語の使い手に成長するのです。彼らは、サピクスや日能研で、タブレット端末で算数などの問題は解きません。紙と鉛筆で手を動かして問題と格闘しているのです。また、スマホなど当然、ガラケーすらも持っていない、子供用ガラケーで親と連絡をとるツールしか持っていない生徒が大方です。そうです。学習する、小学校の段階の学習の殻というものを認識しているからです。公立の小学校に通い、中学受験はしないけれど、そこそこ公立小学校での成績がよく、小学生からECC子供英会話スクールなんぞに通っている子供は、公立中学校で、そんな英語の伸びしろなど生まれてはきません。カチカチ山の泥舟の如くに沈んで行きます。文科省の方針、社会の間違った風潮にだまされた“タヌキ”同然なのです。
弊塾に小学校5年、6年生で入塾を希望されてくる親御さんがいます。理由は、「できれば小学校のうちに英検3級、できれば準2級くらい取って欲しいからです」といったものが大半を占めます。そこで、そのお母様に、お断りの条件として、次のように言うのです。「小学生で、漢字検定2級をお取りになられたら、いつでも喜んで、お子さんに英語をお教えいたします」と。こうした親御さんに限り我が子に小学生のうちからスマホを持たせ、デジタル教育賛同者の予備軍となってゆくものです。因みに、公文式英会話教室、ECC子供英会話教室、ベネッセ子供英語教室などで、どれほど、アイパット端末システムを取り入れているか、講師不足もあるでしょう、また、フランチャイズ教室上の授業の質の均質化もあるでしょう、しかし、それ以上に、こうした短絡的・軽薄的顧客を囲い込む営業方針が根底にあるのです。
実際に、弊塾に近年「弊社の…子供会話スクールのフランチャイズになりませんか?」と営業勧誘の電話が頻繁にかかってきます。あまりにうるさいので、一度お会いしたことがあります。そして、その某有名な…子供英会話スクールの営業マンと2時間あまり、説明を聞き、最後にこちらか、本論で述べているような主旨で、その人を論破したことがありました。教室を出て行くその営業マンに、“こしたシステムで本当に将来、その子が英語をぺれぺら自在に話せるとお思いですか?”と尋ねたところ、“実は、塾長さんのおっしゃる通りです。私に、子供がいれば弊社のフランチャイズ教室には通わせません、仕事ですから、こうした勧誘は”と苦笑いしながら出て行ったことが印象深く残っています。
中学校の段階、そして、高校の段階も、それぞれの勉学の殻という内部で脳を鍛えなければならない段階というものがあるのです。私のモットーでもありますが、時代がどんなにでデジタル化しようとも、初等・中等教育の場は、デジタルの最後尾、できれば、アナログの最先端に位置していることが、小学校から高校までの12年間という40キロのマラソンで、最後の2.195(高校3年の1月と2月)キロという大学入試という極限状態で勝利するものなのです。次のエピソードは以前にもアナログ教育がどれほど大切かのコラムでも用いた内容です。
NHKの教育番組でのやり取りです。ゲストは宮崎駿と養老孟司です。そして、少年少女が大勢スタジオにいます。最後の質問コーナーでのことです。
「宮崎先生、僕は、先生のアニメをすべて観ています。また、その他たくさんのアニ
メも観てきました、どうしたら、先生のような素晴らしアニメが作れる人になれますか?」
「答えは簡単です。明日から、アニメを観ないことです。そのかわり、読書をしなさい」
これは、アナログの大切さを宮崎氏は、強調されたかったのだと思います。どれほど
の数の“読書…”という文字の入った新書なり本が、現在出版されているか、それは、“孤
独…”や“教養…”といった文字の入った書籍の数に猛追する勢いでもあります。
先日、ルパン三世の原作者モンキー・パンチ(加藤一彦)さんが亡くなられましたが
彼も北海道の片田舎で、テレビもない家庭で、家業のコンブ取りを手伝いながら「三銃
士」「怪人二十面相」を読みふけっていた経験が、強烈で、超個性的なキャラクター、ル
パン・次元・五右衛門・銭形・不二子というヒーローとして開花したのです。
※弊塾の2018年9月のコラム「アナログ教育が如何に大切か!」をお読みいただく
ことをお薦めします。
2019年4月22日 17:22