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私のSNS論~④補遺~

 4月25日のNKHのクローズアップ現代という番組を見ました。題は、「AI時代に負けない仕事術」というものでしたが、内容のほとんどは、これからの子供たちとデジタル社会への向き合い方というものに焦点が当てられていました。
 とりわけ興味深かった点は、シアトルのIT企業、マイクロソフトやアマゾンのエリートの親たちがこぞって我が子を通わせる学校というものです。それは、人気の私立校ヴォルドルフスクールです。この学校(小学校)では、校内でデジタル機器が一切禁じられているのです。彼らはコンピューターやデジタル機器が一台もない学校に子供を通わせているのです。これは、まさに‘凡庸なるイワシ化したメンタルの親御さん’には衝撃的だったでしょうが、私にすれば、まさしく、快哉を叫びたくなった一瞬でした。実は、デジタル機器を研究・開発している当事者が、デジタルの教育的側面を信じていないのです。自宅でも、アナログの家庭生活を映しだしていました。その学校の先生の発言です。
 
 「幼い頃に子供がデジタル機器を使うと人とのかかわり方を考えられなくなってしまいます」
 「世界や人間を理解する前の子供がタブレットやスマートフォンを使うと自分で考えられなくなります。人間同士の関係を作れなくなってしまいます。できる限り生身の経験をさせることが大事なのです」
 
 学校での授業は、まさにアナログ授業で、昭和40年代から50年代の日本の小学校の光景そのものでした。手を使い、木材や紙を用い、身体を使い、生身の生徒と生徒が教室や体育館で学ぶ光景で、協調性や創造性を育むことを第一とする教育でした。
 
 その一方で、日本人AIビジネスデザイナー石角友愛さんが、我が子を、自宅で、AIスピーカー(スマートスピーカー)を使い、AIネイティブを早期教育している場面も映しだされていました。彼女曰く、「幼いころから、AIに何ができて、何ができないかを気づいてもらうことが大切なのです」この石角さん自身は、AIのスペシャリストです。デジタルのプラスもマイナスも熟知してもいます。そうした親御さんならば、我が子にAI機器を日頃から、早期から使わせてもほぼ問題ないと言えるでしょう。この石角さんの方針なんぞは、帰国子女の親御さん(※自分もそこそこ英語が話せる親御さん)が、我が子に英会話スクールに通わせても、インターナショナルスクールに通わせても問題はないのと同義です。この石角さん路線は、一般の親御さんが参考にすると間違った方向に我が子を導きかねません。謎かけを一つ。
 
 サウナの次の日とかけて、英会話スクールの次の日の我が子の英語力と解きます。その心は、リバウウドが悩みです
 
 帰国子女や準ネイティブの父母が、自宅にいれば、家庭内でも、英語で学校の復習や応用も可能でしょう。しかし、こてこての純日本人が、家庭で我が子以上にすらすらと英語を話す環境になければ無駄と相成るのとおなじです。この石角さん親子のデジタル教育、早期デジタル教育は、危険性大であります。一般的親御さんは、参考にすらなりません。
 実は、私は気づいたのです。あのシアトルの巨大IT企業で働いている親御さんに人気の小学校に通っている生徒達が、内面で経験しているアナログ閾の深耕という領域は、日本の中学受験をする小学校4年から6年の少年少女たちと同じものではないかと感じずにはいられないのです。恐らく、彼らは名門中学校に合格するためには、皮肉なことに、ゲームを制限し、スマホではなく超原始的ガラケーのみの生活、さらに、アイパットやパソコンなど疎遠の生活を余儀なくされている部族なのです。端折っていえば、10歳前後は、“デジタル断食生活”をしているとも言っていいでしょう。紙と鉛筆を道具に黙々と算数の問題と格闘し、物語文をどう読み、主人公の心情理解に鍛錬を積み、日々の筋トレの如く地道に漢字や慣用句などを暗記し、人間の真理や社会の実相を初歩的に社会という科目から、自然の摂理の入門を理科という科目から、それぞれ真に学んだ12歳の少年少女が、名門私立中学に入学してくるのです。しかし、彼は英語もプログラミングもほぼ素人の段階です。でも、彼らは、脳内の適切な学習手順初等教育はアナログ⇒中等教育はアナログ+デジタル⇒高等教育はデジタル}を踏んできているのです。中学からでも、高校からでも、脳の“足腰”が小学生の段階でしっかり出来上がっています。ですから、その後、サッカーだろうと、野球だろうと、バスケットボールだろうと、どのジャンルのスポーツを始めようと、その種目で頭角を現すのです。
 

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