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コラム
Z世代に媚びる風潮にモノ申す
「今の若いモンときたら、なっとらん!」上の世代が下の世代へ愚痴る文言として紀元前のこと、ピラミッドの壁面にも書かれていたというエピソードは有名である。この有名な不平とやらの言葉が最近では、どうも絶対禁句となる風潮にあるようだ。
最近、とみに気になること、それは、Z世代への迎合、追従の時代の流れである。日経新聞にしろ、日経MJにしろ、Z世代にターゲットを絞らないと経済の風向きが読めない、企業経営の存亡が危ういかの論調である。その根底には、広告代理店が、うごめいている、警鐘を鳴らしている舞台裏は容易に想像がつく。30代以上の世代が、10代から20代の世代に顔色を伺う奇妙な空気が、令和の時代を覆いつくしてもいる。以下は、その年代に生を受けた世代の名称である。Z世代は、山口周的に言えば、ニュータイプ、XY世代はオールドタイプと烙印でも押したげある。Z世代の目線・感性でなければ21世紀の様々な問題は解決できないかのような趨勢でもある。
Z世代:1997~2012 デジタルネイティブ
Y世代:1981~1996 落合陽一 デジタルパイオニア
X世代:1965~1980 堀江貴文 猪子寿之 デジタルイミグラント
このZ世代に教えを請うなどといった風潮は、スマホに代表される情報化社会とグローバル化、世界の生活水準の均質化など、そして、文明の長足の進歩に上の世代が適応することに中年世代以上が、辟易する、疲れてもいることが要因でもあろうか、Z世代を敬い奉る傾向が生じているのは。
デジタルネイティブを、まるでお師匠さんの如きに敬う風潮は、パソコンの操作、スマホのアプリの設定、インスタからラインに至るまで、親の世代が、我が子の中高生に教えを請うという現象に典型的に表れてもいる。
堀江貴文、猪子寿之、落合陽一など、デジタルの時流で成功を収めたIT系知識人など、態度の生意気さ、口の利き方がいまいち、社会的姿勢(※校則的文脈でである)に問題があろうが、時代に合致し、ある意味、成功している者が“正しい”という風潮が、Z世代をさらにヨイショする論の根拠に、加担してもいるようである。
極論ながら、人間的にどんなに問題があろうが、AIやコンピュータ、ハイスペックのデジタル機器と仲良く付き合える資質こそが<時代で輝く勲章>でもあり、<正規の肩書>なのである。
松下幸之助や稲盛和夫の経営哲学なんぞを、部下の前で訓示しても、説教しても、自身がこのデジタル化社会に適応できていなければ、クソ上司とみなされる。こうした部族を、最近では、“働かないオジサン”と呼ぶそうである。その点で、佐藤優氏などは、端的に、「現代は、昭和の名経営者の松下、ソニーの経営哲学は全く通用しない」とまで言い切っているのは、ある意味で正解でもある。その現象の典型が、オフィス内で、背広(スーツ)を着ていないカジュアルな服装で仕事をしている光景がそれ如実に顕してもいる。紳士服のアオヤマやアオキなどは、令和の時代、その経営人が“青い(アオイ)”顔をしてもいるのは想像に難くない。
Z世代に関してだが、私が毎朝よく見る東京MXテレビの堀潤の司会の番組が、昨年4月(2021年4月)に幕を閉じた。そのジャンルの専門家をコメンテーターとして招き、いっぱしのためになる意見を吐くコーナーが売りだった『モーニングクロス』といういい番組であった。今では、この番組から民放キー局のコメンテーターとして出世した者が少なくない。若神雄純や田中ウルヴェ京などである。その、名番組がZ世代をコメンテーターとする『モーニングFLAG』という番組に一年以上前に改変となった。私から言わせれば“改悪”である。毎日、ほとんど20代の大学生から若手企業家など(20~28歳くらい)がコメントするのだが、50代のおじさん世代からすると、まったくためにはならない、また、Z世代の最大公約数的意見とも感じられない。知的情報番組というより、Z世代の一部(※どの世代にもいる、賢い尖がった若者である)の愚痴、思いつきコメント番組に成り下がった感が否めない。特に大空幸星などが、Z世代のど真ん中ながら、彼のキャラは、Z世代を反映したものではないし、ましてやZ世代を代表する若者でもない。むしろ、どの時代にも登場する、その時代を投影した知性である。彼をZ世代の代表格、旗手と持ちあげる空気が、どうも気に入らない。こんな賢い青年は、Z世代には稀、むしろ、稀少部族であるが、ある意味、Z世代を代弁して、また、しているかのようにマスコミは祭り上げていることが、この令和の中のZ世代の立ち位置を複雑にもしている。
この番組は、若者、特にZ世代の地上波ニュース番組離れを食い止める、いや、Z世代向けの番組を作り、朝のニュース番組だけでもZ世代を引き付けたいという目論見の、それにより企画された、Z世代に尻尾を振っている番組である。そのコンセプトが司会者堀潤の口ぶりから明々白々なのだ。まるで、今や誰も見向きもされなくなった民放の深夜番組が、お笑いタレントを交えて、AKBやら乃木坂やらの少女アイドル出演のどうでもいい番組で構成し、10代から20代の中高生、大学生を少しでも視聴率の母集団に引きずり込みたい魂胆と同類のものを感じずにはいられない。
話は変わるが、山口周と隈研吾が語ってもいたが、現代の建築がダメになったのは、住宅ローンを何十年も組み、タマホームなど30~40年でオシャカとなるプレハブ住宅なんぞを昭和の後半から平成にかけて、一戸建てマイホーム神話なんぞで推進したこと」が原因だと指摘してもいたが、まさしく、このZ世代の意見・信条(140字という短文でしか意見が吐けない、語れない、述べられない人種の“世論”)は、ピカピカの寿命30年前後でだめになる、ユニクロのフリース的、モノ所有観と似ている見解・感想でもあることを指摘しておこう。そこそこ、何不自由なく、まあ一通りの欲しいものが身の回りにある世代である。また生まれた時から、経済が停滞し、賃金上昇もなく、デフレの中、コスパ思想に染まってもいる。それに拍車をかけるかのように、地球温暖化、環境破壊などエコを宗教的に身だしなみとして弁えてもいる世代である。生まれた時から、スマホからパソコンといったデジタル器機が当たり前、その操作はお手の物、そのデジタル器機の中の世界(映画、エンタメ、音楽など)だけで、十分幸福感を味わえる世代でもある。それにさらに拍車をかけるかのように、最近では、メタバースとやらがやたらと、様々なジャンルで喧伝され、市民権を得ようとうごめいてもいる。世の企業は、こうしたZ世代を考慮の上に、広告代理店の電通・博報堂などは、Z世代のマーケティング戦略を様々な企業にご指導している様は容易に想像がつく。
ここで結論をいう。「今の若い者ときたら…」と愚痴を言っていた間は、文化というものが、伝統というものが、日々脱皮進化し、また、換骨奪胎し、新たに生まれもした。しかし、この有名な“逆説的格言”から、社会から死語、禁句となってしまった時点で、人間社会の文化の歩みは、その歩を止める。今や、デジタルによる、文化の無風状態、サルガッソーに佇む帆船的状況といってもいい。
Z世代に迎合のマーケティングなんぞは、反文化的風潮であると、誰も指摘しない。それは、時代は<経済と環境>こそが、金科玉条の原則になってしまったからである。何も、円安や物価高、SDGs社会を揶揄しているわけでない、ある意味、スマホに象徴される情報化社会による、モノからコトへのシフト、そして、文明社会のコアともいうべき欲というものが去勢されたZ世代のメンタルが、エコ社会、環境への配慮、脱炭素化といった諸々の問題とシンクロしている、そのシンクロさが、X世代、Y世代には、何も言えない同調圧力として、Z世代を祭り上げる追い風にもなっているのである。
これほど、上の世代が下の世代を、肯定的にとらえられている、評価している時代も珍しい。<経済と環境>の両立の牽引役として祭り上げられた世代、それが、アメリカ発祥のZ世代であるらしい。個人的ながら、日本では、このZ世代の比率は、アメリカに比べて低い。人口比率15%に過ぎない。
最近、とみに気になること、それは、Z世代への迎合、追従の時代の流れである。日経新聞にしろ、日経MJにしろ、Z世代にターゲットを絞らないと経済の風向きが読めない、企業経営の存亡が危ういかの論調である。その根底には、広告代理店が、うごめいている、警鐘を鳴らしている舞台裏は容易に想像がつく。30代以上の世代が、10代から20代の世代に顔色を伺う奇妙な空気が、令和の時代を覆いつくしてもいる。以下は、その年代に生を受けた世代の名称である。Z世代は、山口周的に言えば、ニュータイプ、XY世代はオールドタイプと烙印でも押したげある。Z世代の目線・感性でなければ21世紀の様々な問題は解決できないかのような趨勢でもある。
Z世代:1997~2012 デジタルネイティブ
Y世代:1981~1996 落合陽一 デジタルパイオニア
X世代:1965~1980 堀江貴文 猪子寿之 デジタルイミグラント
このZ世代に教えを請うなどといった風潮は、スマホに代表される情報化社会とグローバル化、世界の生活水準の均質化など、そして、文明の長足の進歩に上の世代が適応することに中年世代以上が、辟易する、疲れてもいることが要因でもあろうか、Z世代を敬い奉る傾向が生じているのは。
デジタルネイティブを、まるでお師匠さんの如きに敬う風潮は、パソコンの操作、スマホのアプリの設定、インスタからラインに至るまで、親の世代が、我が子の中高生に教えを請うという現象に典型的に表れてもいる。
堀江貴文、猪子寿之、落合陽一など、デジタルの時流で成功を収めたIT系知識人など、態度の生意気さ、口の利き方がいまいち、社会的姿勢(※校則的文脈でである)に問題があろうが、時代に合致し、ある意味、成功している者が“正しい”という風潮が、Z世代をさらにヨイショする論の根拠に、加担してもいるようである。
極論ながら、人間的にどんなに問題があろうが、AIやコンピュータ、ハイスペックのデジタル機器と仲良く付き合える資質こそが<時代で輝く勲章>でもあり、<正規の肩書>なのである。
松下幸之助や稲盛和夫の経営哲学なんぞを、部下の前で訓示しても、説教しても、自身がこのデジタル化社会に適応できていなければ、クソ上司とみなされる。こうした部族を、最近では、“働かないオジサン”と呼ぶそうである。その点で、佐藤優氏などは、端的に、「現代は、昭和の名経営者の松下、ソニーの経営哲学は全く通用しない」とまで言い切っているのは、ある意味で正解でもある。その現象の典型が、オフィス内で、背広(スーツ)を着ていないカジュアルな服装で仕事をしている光景がそれ如実に顕してもいる。紳士服のアオヤマやアオキなどは、令和の時代、その経営人が“青い(アオイ)”顔をしてもいるのは想像に難くない。
Z世代に関してだが、私が毎朝よく見る東京MXテレビの堀潤の司会の番組が、昨年4月(2021年4月)に幕を閉じた。そのジャンルの専門家をコメンテーターとして招き、いっぱしのためになる意見を吐くコーナーが売りだった『モーニングクロス』といういい番組であった。今では、この番組から民放キー局のコメンテーターとして出世した者が少なくない。若神雄純や田中ウルヴェ京などである。その、名番組がZ世代をコメンテーターとする『モーニングFLAG』という番組に一年以上前に改変となった。私から言わせれば“改悪”である。毎日、ほとんど20代の大学生から若手企業家など(20~28歳くらい)がコメントするのだが、50代のおじさん世代からすると、まったくためにはならない、また、Z世代の最大公約数的意見とも感じられない。知的情報番組というより、Z世代の一部(※どの世代にもいる、賢い尖がった若者である)の愚痴、思いつきコメント番組に成り下がった感が否めない。特に大空幸星などが、Z世代のど真ん中ながら、彼のキャラは、Z世代を反映したものではないし、ましてやZ世代を代表する若者でもない。むしろ、どの時代にも登場する、その時代を投影した知性である。彼をZ世代の代表格、旗手と持ちあげる空気が、どうも気に入らない。こんな賢い青年は、Z世代には稀、むしろ、稀少部族であるが、ある意味、Z世代を代弁して、また、しているかのようにマスコミは祭り上げていることが、この令和の中のZ世代の立ち位置を複雑にもしている。
この番組は、若者、特にZ世代の地上波ニュース番組離れを食い止める、いや、Z世代向けの番組を作り、朝のニュース番組だけでもZ世代を引き付けたいという目論見の、それにより企画された、Z世代に尻尾を振っている番組である。そのコンセプトが司会者堀潤の口ぶりから明々白々なのだ。まるで、今や誰も見向きもされなくなった民放の深夜番組が、お笑いタレントを交えて、AKBやら乃木坂やらの少女アイドル出演のどうでもいい番組で構成し、10代から20代の中高生、大学生を少しでも視聴率の母集団に引きずり込みたい魂胆と同類のものを感じずにはいられない。
話は変わるが、山口周と隈研吾が語ってもいたが、現代の建築がダメになったのは、住宅ローンを何十年も組み、タマホームなど30~40年でオシャカとなるプレハブ住宅なんぞを昭和の後半から平成にかけて、一戸建てマイホーム神話なんぞで推進したこと」が原因だと指摘してもいたが、まさしく、このZ世代の意見・信条(140字という短文でしか意見が吐けない、語れない、述べられない人種の“世論”)は、ピカピカの寿命30年前後でだめになる、ユニクロのフリース的、モノ所有観と似ている見解・感想でもあることを指摘しておこう。そこそこ、何不自由なく、まあ一通りの欲しいものが身の回りにある世代である。また生まれた時から、経済が停滞し、賃金上昇もなく、デフレの中、コスパ思想に染まってもいる。それに拍車をかけるかのように、地球温暖化、環境破壊などエコを宗教的に身だしなみとして弁えてもいる世代である。生まれた時から、スマホからパソコンといったデジタル器機が当たり前、その操作はお手の物、そのデジタル器機の中の世界(映画、エンタメ、音楽など)だけで、十分幸福感を味わえる世代でもある。それにさらに拍車をかけるかのように、最近では、メタバースとやらがやたらと、様々なジャンルで喧伝され、市民権を得ようとうごめいてもいる。世の企業は、こうしたZ世代を考慮の上に、広告代理店の電通・博報堂などは、Z世代のマーケティング戦略を様々な企業にご指導している様は容易に想像がつく。
ここで結論をいう。「今の若い者ときたら…」と愚痴を言っていた間は、文化というものが、伝統というものが、日々脱皮進化し、また、換骨奪胎し、新たに生まれもした。しかし、この有名な“逆説的格言”から、社会から死語、禁句となってしまった時点で、人間社会の文化の歩みは、その歩を止める。今や、デジタルによる、文化の無風状態、サルガッソーに佇む帆船的状況といってもいい。
Z世代に迎合のマーケティングなんぞは、反文化的風潮であると、誰も指摘しない。それは、時代は<経済と環境>こそが、金科玉条の原則になってしまったからである。何も、円安や物価高、SDGs社会を揶揄しているわけでない、ある意味、スマホに象徴される情報化社会による、モノからコトへのシフト、そして、文明社会のコアともいうべき欲というものが去勢されたZ世代のメンタルが、エコ社会、環境への配慮、脱炭素化といった諸々の問題とシンクロしている、そのシンクロさが、X世代、Y世代には、何も言えない同調圧力として、Z世代を祭り上げる追い風にもなっているのである。
これほど、上の世代が下の世代を、肯定的にとらえられている、評価している時代も珍しい。<経済と環境>の両立の牽引役として祭り上げられた世代、それが、アメリカ発祥のZ世代であるらしい。個人的ながら、日本では、このZ世代の比率は、アメリカに比べて低い。人口比率15%に過ぎない。
2022年12月12日 17:44